高校時代の夢を、ここで叶えた。
学生時代に、美容とマーケティングに興味を持った岡橋さん。
入社後は、キッチン家電の広告部門で販促のイロハを学び、 4年目で念願の美容家電部門に配属されました。
そんな夢を叶えるまでの軌跡と、その後のキャリアを語ります。
学生時代に、美容とマーケティングに興味を持った岡橋さん。
入社後は、キッチン家電の広告部門で販促のイロハを学び、 4年目で念願の美容家電部門に配属されました。
そんな夢を叶えるまでの軌跡と、その後のキャリアを語ります。
くらしアプライアンス社
キッチン空間事業部 調理機器ビジネスユニット
コンシューマーストラジテックビジネスユニット
国内マーケティング部 電子レンジ商品課 課長
岡橋藍
高校時代に、縁があってヘアモデルの仕事を経験したことがありました。プロのメイクさんが化粧やヘアセットをしてくれたのですが、「私、別人みたい」と大きな感動を覚えたのです。それを機に、将来は化粧品メーカーで働きたいと考えるようになりました。そしてもう一つ、将来の方向性を決定づけた大きな出来事があります。それは、学校の図書館で、コンビニエンスストアをマーケティングの力で成功に導いた方の本を読んだこと。一気にマーケティングの虜になり、経営学部への進学を決めました。
大学で学びを深めるなかで感じたのは、マーケティングは、文系にもできる「ものづくり」だということ。「もの」そのものをつくるわけではなく、「もの」にまつわる価値をつくることの面白さに、どんどん引き込まれていきました。大学3年生のときに、マーケティング職を募集していた松下電機のインターンに参加し、その後の面接を経て内定をいただきました。しかし、第一志望だった化粧品メーカーのマーケティング部門にも同時期に合格。松下電器の担当者に、御礼と内定辞退のお詫びをしなければと電話をしたところ、なんと1時間以上引き留めていただいたのです。「人」や「つながり」をこれほど大切にしている風土に感動し、入社を決意しました。
入社後は、宣伝を担う部署に配属され、3年目に食洗機の需要を喚起するプロジェクトに参加することになりました。地道な調査の結果、子育て層へのニーズの高さに着目。ターゲットを思い切り絞り、食洗機は「子育て家電」だとコンセプトを立て販促を行いました。子育て層以外へは積極的なアプローチをしないこの戦略に、懐疑的な意見も挙がりましたが、結果的には、売り上げが大きく向上。お客様からの、「食洗機はいままで贅沢品だと思っていたけれど、『子育て家電』と言ってもらえて、涙がでました」というメールは今でも忘れられません。人の心をここまで動かせるマーケティング・宣伝という仕事に、大きなやりがいを感じましたね
2008もともと化粧品メーカーを志望していたこともあり、美容に関する業務に関わりたいという想いは、入社当時から常に抱いていました。入社4年目の頃、ブランドがナショナルからパナソニックに変わるタイミングで、美容家電も大きなリブランディングを行うことに。この機を逃すわけにはいかないと、美容家電の宣伝部門への異動を志望しました。 「きれいなおねえさんは、好きですか。」というキャッチコピーに代表されるように、「素敵なお嫁さん」を目指す女性に向けた訴求がメインのブランドでしたが、女性の就業率が急速に上昇していた当時、少し時代錯誤の表現になってしまっていました。そこで、あらゆる女性の綺麗を応援したいという想いを込めて「Panasonic Beauty」を立ち上げたのです。
調理商品、特に電子レンジのマーケティングを担当することになりました。パナソニックの調理家電ブランド「Bistro」の特徴は、料理に自信がない方や忙しくて時間がない方でも、手軽においしい料理がつくれること。失敗せずに調理できるプログラムには一定の評価をいただいています。とはいえ、市場での王者かと問われればそうではないのが現状。量販店で迷わず選んでもらえるブランドにするというミッションは、難しくもやりがいを感じています。また、マーケティングではデータを重要視しますが、普段の家事には、データだけでは見抜けない感覚的な部分も存在します。家庭で料理をつくる自分自身の直感の重要性も、学ぶことができました。
もともと担当していた「Panasonic Beauty」は市場シェアの高い人気ブランド。そのため、まずは調理家電をそこに並ぶくらいのブランドに押し上げたいです。「Bistroが欲しい」「いつか買ってみたい」と指名買いしてもらえるような、調理家電の代名詞に育てたいですね。また、これまでは日本独特のマーケットに面白さを感じ、家庭もあるため国内家電業務に従事してきましたが、せっかくパナソニックで仕事をしているので、海外市場やコンシューマー家電以外の商材にも関わり、視野を広げていきたいと考えています。
※所属・インタビュー内容は取材当時(2024年2月)のものです。