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インサイドストーリー 05

甲子園球場のLED化を遂行

2022年、「阪神甲子園球場がナイター照明のLED化に踏み切る」というニュースが、新聞で取り上げられた。伝統ある球場に新たな歴史を刻む一大事業に挑戦したのは、プロジェクトリーダーを務める小原(特機営業推進部・主幹)以下、実働部隊のメインとなる営業職の松山、技術営業職の岩崎、さらに技師の久米や池畑といった20代後半~30代前半の若手中堅社員たち。一体どのような苦労や挑戦があったのかを、主要実働メンバーの4名に語ってもらいました。

エレクトリックワークス社

ライティング事業部 PLBU

特品推進部 件名推進課 主任技師

2010年入社

池畑詩織

エレクトリックワークス社

ライティング事業部 エンジニアリングセンター

専門市場エンジニアリング部 西部屋外照明課 主務

2013年入社

岩﨑浩暁

エレクトリックワークス社

ライティング事業部 PLBU

屋外照明事業推進部 器具開発1課 主任技師

2010年入社

久米

エレクトリックワークス社

マーケティング本部

近畿特機営業部 大阪電設営業所

電設営業二課 主務

2016年入社

松山泰範

日本照明賞の栄光に輝いた 阪神甲子園球場ナイター照明LED化。

その陰には汗と冷や汗のドラマがあった。

一枚の要望書を手がかりに、暗中模索の挑戦。

阪神甲子園球場が誕生したのは1924年。ナイター照明が初めて設置されたのは、日本が国際連合に加盟した1956年のこと。国内の数ある本格的な野球場のなかでも最も長い歴史と伝統を誇る施設だ。ナイター照明は過去に2度(1974年・2009年)改修工事が行われ、パナソニックは2009年に照明提案のチャンスを得るも、当時は健闘むなしく、採用には至らなかった経緯がある。しかし2018年、チャンスは再び訪れた。阪神甲子園球場がナイター照明のLED化について本格的な検討を始めたのだ。改修案件では既設メーカーが圧倒的に有利とされるなか、パナソニックは今回も提案の土俵に立つことを許され、照明提案を実施。結果、既設メーカーを跳ね除け、雪辱を果たす形で見事受注を勝ち取った。その逆転劇の始まりについて松山はこう語る。

「『日本一有名な阪神甲子園球場がついにナイター照明をLED化する。LED投光器で市場を牽引する我が社としては何としても受注しなければならない』。この案件を持ち込んだプロジェクトリーダーの小原さんより、そう檄を飛ばされた記憶があります。当時はまだ私と岩﨑さんがプロジェクトメンバーとしてアサインされたばかりで、プロジェクトの実働部隊としては小規模なものでしたが、『この大きな使命を必ず果たそう』という熱気だけはチーム内に充満していましたね」

しかし、ここに大きな問題が一つあった。それは、阪神甲子園球場とは日頃の多少な関係性はあるものの、ナイター照明に関する情報を得るための関係づくりが、既設メーカーに比べてできていなかったことだ。当時の暗中模索の状況を岩﨑はこう語る。

「ライティングプランを構築する手がかりは阪神甲子園球場からいただいた一枚の要望書のみで、御提案をするうえで圧倒的に情報が足りませんでした。『阪神甲子園球場が、どのような思いでLED化に踏み切ろうとしているのか』『どのような改修や仕上がりを望んでいるのか』が要望書のみでは読み取ることができず、私と松山さんはずいぶん頭を悩ませました。そこで、まずは他球場ですでに導入実績のある高出力の照明器具をご提案することにしました。テレビで4K・8K放送が開始されてはや数年。選手がプレーする様子を高精細に浮かび上がらせるLED照明の需要が高まっていた時期です。パナソニックが誇る最新鋭の照明器具について、調光技術と併せてプレゼンテーションを行ったのですが、残念ながら阪神甲子園球場にはあまり刺さらない結果となりました」

圧倒的な情報不足を、地道な営業で補うことに。

しかしこの結果を受け、松山は「阪神甲子園球場の一大プロジェクトを完遂するため、こんな躓きで諦めてはいけない」という思いを逆に強めたと言う。

「最先端のLED照明技術なのになぜ響かなかったのか。帰社してすぐにプロジェクトメンバーをかき集め、次のプレゼンテーションに向けての議論を始めました。出た答えは『お客様からヒントを引き出すため、粘り強い営業をしかけよう』ということ。人に誠実で、ものづくりに実直であることがパナソニック社員の魅力です。少なくともそのことを分かってもらおうと、小原さんを筆頭に、私と岩﨑さんの3名で阪神甲子園球場に足繁く通い始めました。おかげで今ではナビなしでも車で行けますし、渋滞が起こる時間や場所、裏道も全て頭に入っています(笑)」

一歩も二歩も既設メーカーがリードする不利な状況を何とか挽回しようと期した営業作戦。なかなか具体的な要望を口にしない阪神甲子園球場の担当者との対話には苦労したものの、根気強く営業を続けるなかで、次第に2つのキーワードが浮かび上がってきたと松山は語る。

「1つは『カクテル光線』です。これは、1956年に阪神甲子園球場がナイター照明を設置する際に採用した日本初の照明手法で、橙色と白色の異なる色味の照明器具を組み合わせることにより、明るいながらも温かみのある雰囲気を球場内に生み出すという照明技術です。『他の野球場が次々にナイター照明を白色一辺倒のLED照明に変えていく時代だからこそ、カクテル光線発祥の球場として伝統を守りたい』。そんな思いがお客様の心の奥底にあることを、営業活動を続けるうちに感じ取ることができました。もう1つは、『照明演出』です。これは、よりエンターテインメント性を加味した試合演出をナイター照明で行えないかという試みです。当時はコロナ禍の真っ只なかで、あらゆるスポーツ・エンターテインメントが方向性の転換を余儀なくされるなか、『阪神タイガースのファンにもっと喜んでもらえる球場にしたいという担当者の思いをかなえるには、カクテル光線と照明演出の2つを実現させることが不可欠だ』。そう確信できたことが、受注への一歩につながったのだと思います」

巻き返しを図る商品開発。しかし最大のピンチが待っていた。

まさに粘り強い営業が見出した解決の糸口だ。その糸口を手繰り寄せるように、プロジェクトは巻き返しを図り進展することになる。ここで、情報収集にあたっていた主要メンバーに加え、カクテル光線と照明演出の技術開発を行う技師がアサインされることになる。その時のことを久米はこう述懐する。

「最初の会議に臨んだ際、松山さんや岩﨑さんからこう切り出されました。『まず、カクテル光線が受注のカギになります。その光をLEDで創ってください』と。『それって何ですか?』と聞いても、別に参考書籍があるわけではなく、白色の光と橙色の光を混ぜるということしか分かりません。微妙な色調を知っているのは、何度も球場へ足を運んでいる小原さんや松山さん、岩﨑さんだけです。それに、これまで単一色の光空間を実現する照明器具の開発は幾度となく経験してきましたが、カクテル光線を実現する照明器具の開発は経験したことがありませんでした。阪神甲子園球場のナイター照明となれば、700台を超える照明器具が設置されています。

それらがすべて点灯した状態で、お客様が求めるカクテル光線の光環境が実現できるように照明器具を開発しなければなりません。照明光の開発手法や色味の評価実験方法すら分からないなかでのスタートでした」

白色と橙色、それぞれの照明器具の明るさの割合を変えてみたり、投光器自体の色味を調整したり、数限りない試行錯誤が始まった。久米から「できたかも」という声がかかれば、松山、岩﨑らとともに、会社敷地内の広場ですぐさま実験を行った。例えるなら“利きカクテル光線”実験だ。3人で「いける」と判断すれば、阪神甲子園球場の担当者に色調を見てもらった。「こんなものはカクテル光線じゃない!」と強い口調でダメ出しされた時は、3人で肝を冷やし、また一から検討し直すという取り組みが続いた。しかし、本当に冷や汗をかいたのは、2020年10月に行われる照明メーカー選定実験を目前にして届いたある報告だと松山は語る。

「それは、選定実験の日までに顧客要望を満たす器具が仕上がらないという技術サイドからの報告でした。選定実験は、阪神甲子園球場に各照明メーカーが器具を持ち寄ってテストを行い、まさに企業選定を行う最終プレゼンの場です。その場に、阪神甲子園球場から要求されていた光性能、色特性を満足する器具を用意できない、と。本当に焦りました。これまで球場の担当者に見てもらい、カクテル光線の色調を追い込んできた努力が泡になるという、プロジェクト最大のピンチでした。『完成品の代わりに、試作開発途中のテスト品を実験用に部分的に改造してプレゼンしてはどうか』という声もありましたが、そんな誤魔化しをするわけにはいきません。それこそ、今まで積み上げてきた信用が泡と消えてしまいます。阪神甲子園球場には『最大限努力するが、器具が間に合わないかもしれない』と窮状を正直に打ち明けつつ、技術サイドには『ギリギリまで諦めないでくれ』と祈るような気持ちで訴えました」

祈るような気持ちで動いたのは松山だけではない。最大のピンチをどうにか乗り切ろうと、営業部長をはじめ、製造部門のトップも動き、総力戦で問題解決にあたった。

「何か問題があれば、役職や職種の違いを超えて解決にあたるのがパナソニックの魅力の一つなのですが、その時はまさにその魅力が活かされました。そして、プロジェクトに関わる全員が力を結集したおかげで、最後のチャンスとして残された選定実験の場に間に合わせることができました。完成品は、新潟の工場から宅急便で送る手はずになっていたのですが、それでは間に合わないので、ハンドキャリーで照明器具を新幹線に持ち込み、人海戦術で阪神甲子園球場まで運びました。本当にギリギリのタイミングでした」

そしていよいよ選定実験。担当者に合格を頂けた瞬間のことを、松山も岩﨑も久米も「鮮明に覚えている」と口を揃えるように話す。

「それまで難しい表情しか見せず、既設メーカーに向いていた担当者が、晴れるような笑顔をこちらに見せて『この色ならLEDでも伝統のカクテル光線が再現できる』とおっしゃったのです。『ついに風向きが変わった。やっと担当者と心がつながった』。そう確信した瞬間でした。思わず涙があふれるような感動が体の底からゾワゾワと湧き上がりました」

汗と冷や汗をかきながら全員で乗り越えた最大のピンチ。選定実験の後、間もなくして、パナソニックは阪神甲子園球場からナイター照明の採用メーカーとして正式に内定をいただいた。

ピンチを乗り越えた先に待っていた、日本照明賞受賞と阪神タイガース優勝。

受注が確定してから、池畑が新たにプロジェクトメンバーに加わった。池畑の役割は、阪神甲子園球場の思いや細かな要望に最後まで寄り添い、現場の器具設置環境に合わせてLED照明を実際に稼働させるためのハードのカスタマイズ設計を行うことだ。池畑は阪神甲子園球場の長い歴史に節目を刻む今回のプロジェクトに、大きな意気込みを感じたと言う。

「2018年からさまざまな苦難を経てチームがつないできたプロジェクトです。そのプロジェクトを最後は私が受け継ぎ、施工、納品に至る設計を担当することに大きな責任とやりがいを感じました。実際、照明鉄塔に当社が開発したLED照明を据え付け、稼働できるようにするまでには、乗り越えなければならない問題がいくつもありました。そうした問題をクリアするため、とことん球場様や施工会社様の声に耳を傾け、100%満足いただける製品に仕上げられるよう努めました」

松山は「最後に池畑さんが担当してくれたから、無事納品することができた」と語る。

「製造、施工の段階になると、どうしてもお客様から細々とした要望が出てくるものです。今回のプロジェクトにおいても、例えば納品2か月前というタイミングで照明器具の結線部の仕様変更を求められ、担当者と製造部門の間で困った状況に立たされることもありました。そんな私や岩﨑さんを助け、時間が許す限り球場様と施工会社様の要望を設計に反映し、施工、納品できる状態にまで仕上げてくれたのが池畑さんなんです」

そして2022年、阪神甲子園球場のナイター照明LED化は無事に成功。国内外において、文化的にも技術的にも高い評価を頂き、リニューアル翌年の2023年には一般社団法人照明学会が主催する第41回日本照明賞を受賞するという栄光に輝いた。折しも2023年は、阪神タイガースが18年ぶりに優勝を決めるという華々しい年となった。しかしその栄光は、さまざまな役職、職種の垣根を越えて全員が力を出し合い、最後の最後まで泥臭く全力疾走を続けたメンバーがいたからだ。人とチームワークを強みとするパナソニックだからこそ、完遂できたプロジェクトだと言えよう。

※所属・インタビュー内容は取材当時(2024年2月)のものです。

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